「陰陽師」、「安倍晴明」、この2つのワードは漫画やアニメ、ゲームなどサブカル分野でよく目にします。
古くは作家の夢枕獏先生が、1988年に「陰陽師」シリーズを執筆し、陰陽師ブームを巻き起こしました。
最近では2016年にアニメ化もされた漫画「双星の陰陽師」が、500万部越えの大ヒットを飛ばしています。
陰陽師や安倍晴明は常にクリエイターたちにインスピレーションを与えてきた、言わば日本のサブカルチャーの代表と言えるでしょう。
そんな陰陽師の裏に「呪禁」という秘術があったことを知る人は少ないと思います。
今回は歴史の闇に埋もれた幻の秘術「呪禁」について紹介したいと思います。
陰陽師ってどんな人たち?
陰陽師と聞かれて多くの人たちは、「呪文を唱えて妖怪を退治する日本版魔法使いのような人」とイメージするのではないでしょうか。
確かに漫画やアニメで活躍する彼らは様々な秘術を用いて、妖怪怪奇を退治するゴーストバスターのように思えます。
しかし、実際にあった陰陽師とは、古代の朝廷に仕えた官職の1つで、占いや天文、地勢などを調査する技術官僚でした。
飛鳥時代後期から平安時代までを律令制の時代と言いますが、この時代の朝廷で暦を作り、いつ稲を植えればいいかを調べる行政部門である「陰陽寮」に属するテクノクラート(技術官僚)が陰陽師だったのです。
もっともこの官職は平安時代以降廃れてしまい、江戸時代には民間の祈祷師や占い師と同じような仕事に落ちぶれたと言われています。
つまり、古代日本においては国家公務員だった陰陽師は、近世には今でいうスピリチュアリストのように変わってしまったといえるでしょう。
現在描かれる陰陽師のイメージは、このスピリチュアリストとしての側面が強く、陰陽師は妖怪バスターというイメージは正しいものとはいえません。
陰陽師のスーパースター・安倍晴明
さて陰陽師のスーパースターといえば安倍晴明であることは間違いないでしょう。
平安時代中期に登場、当時最先端の学問だった「陰陽道」の卓越した知識を持って朝廷や貴族から絶大な信頼を得ていたとされます。
特にライバルである蘆屋道満との対決は安倍晴明を扱った漫画やアニメでは欠かせません。
安倍晴明の活躍は別稿に譲るとして、彼は陰陽師の家元ともいえる「土御門家(つちみかどけ)」の祖とされています。
平安時代以降、陰陽師は廃れましたが、土御門家は陰陽師の家元として全国の陰陽師をコントロール下におき、江戸時代には「土御門神道」という神道の一派を形成しました。
なお、安倍晴明ファンにとって聖地ともいえる京都の「晴明神社」は土御門神道とは無関係で、安倍晴明を祭神とした神社にすぎませんが、パワースポットとしての人気は絶大です。
呪禁(じゅごん)って何?
陰陽師と安倍晴明を簡単に紹介したところで、本稿のテーマ「呪禁(じゅごん)」について紹介します。
この「呪禁」とは「陰陽道」とは別の分野の「呪禁道」に属する占いや呪術を指します。
呪禁という呪術を使うのが「呪禁師」で、陰陽道を用いて暦の作成を主な仕事とする陰陽師とは全く別の職掌です。
事実、古代朝廷においては陰陽師が属する行政部門は陰陽寮であるのに対し、呪禁師たちは典薬寮に属するテクノクラートでした。
同じテクノクラートとはいえ陰陽師と呪禁師は全く別部門の技術職で、陰陽師が暦の作成を行うのに対し、呪禁師は占い、呪術、祈祷を通じて医療に携わる職だったのです。
現代日本の行政部門に当てはめると、陰陽師は農水省、呪禁師は厚生労働省とざっくり例えることができます。
このように古代日本において官職として確立されていた呪禁師たちですが、実は陰陽師よりもずっと前に廃れてしまっていたのです。
平安時代初めにはすでに表舞台から消え去っていたため、この呪禁師と呪禁についてはよく分かっていません。
まさに本稿のタイトル通りの幻の秘術が呪禁なのです。
[ad]呪禁の謎に迫る
この呪禁について、公刊書では記載自体が極めて少なく、わずかに呪禁の文字がみられる程度で、謎に包まれた秘術と言えます。
この秘術について、現代の陰陽師である高橋圭也氏はその著「現代・陰陽師入門」(株式会社朝日ソノラマ 2000)の中で次のように述べています。
「一に曰く存思、二に曰く禹歩、三に曰く營目、四に曰く掌訣、五に曰く手印」(同書69ページ)
これらを高橋氏の解説を交えて紹介します。
まず存思(ぞんし)ですが、自分の内臓をイメージする方法で、各臓器にはそれぞれ神様が住んでおり、その神様とチャネリングして自分の呪力を高める方法のことです。
なお高橋氏は存思を気功と同じと解説する本もあるが、それは間違いだと断じています。あくまで呪力を高める方法だとのことです。
次に禹歩(うほ)ですが、呪禁独特の歩法で、香港映画の「霊元道士」などで道士が行うステップ「反閇(へんぱい)」に近いものだそうです。
この「反閇」は陰陽道での歩法とされており、高橋氏によれば相撲の四股も反閇の一種だそうです。
禹歩も反閇も特殊なステップで地面に悪霊を封じ込める効果があり、一種の悪霊払いの方法だといわれます。
そして營目(えいもく)とは、呪禁師は呪力を高めるため呼吸法を用いるのですが、突然悪霊に襲われた場合ゆっくりやる呼吸法では間に合わないため、片目をつぶって呼吸法の代わりとする營目という手法が使われるそうです。
これも呪力を高め、悪霊から身を守る呪法とされます。
四番目の掌訣とは、悪霊を動けなくする呪法です。
手指の各関節それぞれに神様が住んでおり、その神様とチャネリングすることで悪霊を封じ込める悪霊への攻撃方法とされます。
最後の手印とは、忍者が行う九字のことで、悪霊への攻撃手段です。
ここまで読まれた方は「呪禁師とは医療にかかわる官職で、なんで悪霊払いの技術ばかりなのか」と思われた方もいるかもしれません。
しかし古代日本においては病気とは悪霊に取りつかれた「穢れ」の状態であり、その悪霊を追い払えば病気が治癒すると信じられていました。
そのため当時の医療とは悪霊払いと同義といってよく、それゆえ呪禁師の用いる呪禁はこれら5つの呪法がメインだったのです。
歴史の闇に埋もれた呪禁・呪禁師
それでは彼ら呪禁師たちはどうして歴史の表舞台から姿を消し去ったのでしょうか?
この点も分からないというのが実情です。
陰陽師も呪禁師もともに律令制下の官職であったにも関わらず、陰陽師たちは平安時代までは官職、江戸時代には民間の祈祷師や神道の一派として活躍していましたが、呪禁師は平安時代の初めに突如として消え去りました。
呪禁師の代表は韓国広足(からくにのひろたり)という人物でした。彼は呪禁師たちのリーダーで、例えるならば安倍晴明のような存在でした。
一説によると彼は政争に巻き込まれ失脚し、それ以降呪禁師たちも閑職に追い込まれたのではないかと言われていますが、全くの謎です。
陰陽道に取り込まれた呪禁
それでは呪禁の秘術は完全にこの世から失われてしまったのでしょうか?
実は呪禁は陰陽道に取り込まれて生き残ったと考えられています。
そもそも陰陽師とは暦の作成を主な仕事とする官職で、呪術や祈祷などとは全く無縁だったはずですが、陰陽師はこれらの技術を用いて活躍しました。
陰陽師が用いた祈祷や呪術はどこから来たのかといえば呪禁の秘術に負うところが大きいと高橋氏は述べています。
「陰陽道の式神の呪法の中には、同じく呪法を駆使した呪禁道の技術が含まれています。」(同書 68ページ)
とすれば、漫画やアニメ、ゲームで行われている陰陽師の呪法は多分にフィクションであるにせよ、間接的に呪禁の技術を私たちは目の当たりにしているといえるでしょう。
最後に。幻の秘術「呪禁」
いかがだったでしょうか、今回は幻の秘術「呪禁」について紹介しました。
呪禁については全くわからないといってもいいほどの秘術で、しかも呪禁師たちがどこへいったかも分からないというミステリアスな存在です。
しかし陰陽道に取り込まれたのであれば、この秘術は脈々として現代日本に生き残っているかもしれません。
呪禁という秘術、もっとスポットを浴びてもいい存在かもしれませんね。