七不思議「バビロンの空中庭園」の謎に迫る!どこに実在した!?

バビロンの空中庭園世界の七不思議

世界七不思議のひとつ、「バビロンの空中庭園」とはどのような庭園だったのでしょう。

花や草木におおわれた美しい庭園を想像しますが実際の様子はいまも多くの謎に包まれています。

今日はこの謎に包まれた、世界七不思議のひとつ、「バビロンの空中庭園」に一緒に迫っていきましょう。

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世界七不思議のひとつ「バビロンの空中庭園」

世界七不思議として挙げられているものは次の七つです。

  • バビロンの空中庭園
  • ギザのピラミッド
  • エフェソスのアルテミス神殿
  • オリンピアのゼウス像
  • ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
  • ロドス島の巨像
  • アレクサンドリアの大灯台

七不思議とは、その名の通り七つの不思議な事柄を指して言う言葉です。

学校や生まれ育った地域にも七不思議があります。
今では都市伝説と言った方が身近に感じるかもしれません。
それと同様、世界にも七不思議があります。

バビロンの空中庭園は有名な話ですが、確かな遺跡の発掘や証拠と言えるようなものがひとつも発見されていません。

よって、長年バビロンの空中庭園については論争が繰り返されてきました。

そして近年では人々の想像によるもので、架空の話ではないかという学者も多くいます。
そのくらい、謎に包まれているのです。

バビロンの歴史

バビロンはメソポタミア地方で紀元前18~6世紀に繁栄した古代都市のひとつです。

元は小さな町だったようで、起源は紀元前23世紀までさかのぼると言われています。

紀元前18世紀、当時の王であったハンムラビが大都市にバビロンを替え、自らが王となりました。

ここで生まれたハンムラビ法典が有名な「目には目を歯には歯を」です。

そしてこの時期からメソポタミアの南部周辺はバビロニア地方と呼ばれるようになります。

バビロニア地方で行われた農耕は世界でも最も古いと言われ、紀元前3世紀には文字の使用も始められました。

バビロニア王朝ではアッシリアとの戦いが絶えず、のちにはアッシリアの支配下になります。

その後、反乱が続くも支配は100年以上続いています。

バビロニアの時代がいつまで続いていたのか、明確にはされていませんがクテシフォンが中心的な都市になり、バビロン市が放棄されるまでとしている記述が多くあります。

空中に浮かんだ庭園?

空中庭園とは、本当に空中に浮かんでいたのでしょうか。

実際には庭園が本当に宙に浮かんでいたわけではありません。

記録によると紀元前3世紀頃に歴史家のベロッソスが空中庭園について書いたものがあり、そこには「テラス状の宮殿」と記されています。

空中庭園の形については歴史家によって様々な意見がありますが通説では小さな丘に階段を作り、テラスを設けていたようです。

そして多くの層になったバルコニーには花や草木が植えられ、外から見るとまるで空中に浮いているように見える人工庭園だったということです。

一説によると、空中庭園を造ったのは新バビロニア王国を建設したバビロンの王、ネブカドネザル2世といわれています。

ネブカドネザル2世は、この空中庭園以外に宮殿やイシュタル門も建設しています。

空中庭園については、彼の妻である王妃アミュティスが故郷であるペルシャを懐かしみ、淋しさにつつまれた日々を送っていることを哀れみ、建設したといわれています。

その空中庭園は、アミュティスの故郷の風情によく似ていたそうです。

空中庭園についての文書史料や、存在そのものを証明する証拠も無いため、3つの仮説が提起されています。

  1. 「空中庭園」そのものが神話であり、人々が想像した理想の楽園であるという説。
  2. 確かにバビロンに存在はしていたが、何らかの出来事により跡形もなく破壊されてしまった説。
  3. 紀元前704~681年に存在していたアッシリア王がアッシリアの首都ニネヴェに建造した庭園が空中庭園と混同されているという説。

どの説も納得のいく形ですが、すべてが謎のままです。

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バビロンの空中庭園はどこに存在したのか

空中庭園がどこにあったのか場所は正確に判明されていません。
考古学者たちが行ってきた発掘調査でも証拠となるものはひとつも発見されていないのです。

研究者の中には空中庭園はバビロンではなく、バビロンからはるか北のニネヴェに存在したという説を唱えている学者もいます。

ニネヴェはティグリス川が流れるほとりにあることから水源もあり、庭園があったという史料も発見されているので、ここに存在していた庭園が空中庭園であったという説が近年では有力視されています。

ドイツ人の考古学者コルデウェイが遺跡発掘を行ったさい、バビロン王宮から北東部へやや離れた場所でアーチ状になった構造を発見しました。

その後も探索を続けた彼は庭園の特徴とされているものを数多く発見したため、その場所に庭園があったと確信していたようです。

しかし、そこには川が流れていませんでした。

空中庭園は花や緑がいっぱいの庭園です。
その豊かな環境を保つためには、かなりの量の水の確保が必要になるので川がそばに無いという事は考えにくいでしょう。

近年ではコルデウェイが発見した石のアーチ状の構造は倉庫だったのではないかと言われています。

理由として、文字で記された食料リストなどがこの遺跡から見つかっているからです。

「バビロンの空中庭園」大きさはどれくらい?

幻といわれているバビロンの空中庭園、一体どれくらいの大きさだったのでしょう。

庭園は正方形の形をしていました。

一辺は約120メートル、最上階の庭の高さは約2.5メートルもあり、広さは約123平方メートル(坪にすると約37坪)だったとされています。
さらに最上部までの高さは100メートル以上あったといいます。

庭園には何層もの階段がありましたが、ひとつの階段数は5段程度という説が多く伝えられています。

階段の幅はそれほど広くはなく、大人が2~3人通れるくらいでした。

バビロンの空中庭園の謎が解き明かされていく

バビロンの空中庭園にだいぶ近づけたと思います。
と言っても謎が多すぎて、まさに世界七不思議といった感じですね。

世界七不思議の中で、エジプトの砂漠に建設されたギザの大ピラミッドは唯一現存する建造物です。

ロドス島の巨像は全長34メートルあり、自由の女神と同じくらいの大きさだったといわれています。

エフィソスのアルテミス神殿は約7メートル地下から発掘されています。

オリンピアのゼウス像は座像にもかかわらず、高さは約12メートルもあったそうです。

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟はマウソロスと妻の遺体を安置する目的で造られ、霊廟には彫刻が施されていたと伝えられています。

アレクサンドリアの灯台は高さ134メートルあったそうですが、3度にわたる地震により全て壊滅してしまっています。

そして、バビロンの空中庭園。
唯一、残っている史料もなく遺跡も発掘されていません。
これこそがミステリーです。

もしかしたら、実はまだ未開拓の地がひそかに埋もれているのかもしれないなどと考えるとワクワクしてきます。

現代ではビルの屋上などで草木を育てることは普通に考えられますが、この時代から考えると、突拍子もない発想だったでしょう。

そしてそれを実現してしまうとは素晴らしい建築技術を持っていたことが分かります。

もし、ネブカドネザル2世が妻のためにこの空中庭園を建造したものだとしたら、それこそ神話のようで素敵ですよね。