世界七不思議の1つ「ロドスの巨像」の真実。どこの場所にあってなぜ制作されたのか?現在の調査とは

ロドス島の巨像

世界遺産にも登録されているロドス島にあったとされている「ロドスの巨像」とは全長34m、大理石の台座の高さも合わせると約50mもある巨大な太陽神ヘリオスを模した像です。

ギリシャの古代地中海で最も重要な貿易港のそばに立っていたと言われています。この巨像は現在は存在しておらず古代世界の七不思議の1つとして知られています。

今回はこのロドス島の巨像についてお話しします。

ロドスの巨像はどこにある?なぜ作られたのか?完成に至るまでの経緯

ロドス島の巨像
引用元:ロドス島の巨像

ロドスの巨像は、なぜ作られたのか?どの場所にあったのか?基本的な詳細は意外と知られていないもの。

ここでは、制作した理由から完成に至るまでの経緯。立地場所などを詳しく解説していきます。

ロドス島の巨像が製作した理由。アポロの巨像とは

巨像は紀元前305年~304年に起こったデメトリス軍の侵攻をエジプトのプトレマイオス1世の力を借りて撃退することに成功したことを機に作られたと言われています。

撃退できたのは神のおかげだと感謝の気持ちを表してロドス島に住む人々が崇めていた太陽神ヘリオスを模した巨像を作りました。巨像を作る資金はデメトリス軍が置いていった装備などを売って集めたとされています。

また、ロドス島の巨像は「アポロの巨像」とも言われています。なぜ他にも名称があるのかというと、ヘリオスは同じ太陽神のソルやアポロン(ローマ名でアポロ)と混同されることが多いからです。

立地場所や見た目やつくり

巨像は海を向いて大股を広げマンドラキ港の入り口に立っていたと言われていますが、港周辺にある神殿にあったとする説もあり巨像の詳しい位置はわかっていません。

その神殿にはヘリオス神が祀られているのでそのように言われているようです。

外観は巨像がなくなってしまった後に想像で描かれた肖像画を見ることでしか確認はできず、実際はどのような見た目をしていたのかはわかっていません。

ただ大体は頭に大きな太陽を模したとげとげの冠、片手には船を導く松明、裸姿にケープもしくは腰布姿だったと言われており、弓を背負っていたり剣もしくは槍を持っている肖像画もあります。

胴回りは18m、モモの太さは3.3m、足首は1.5mあったそうです。大プリニウスの記述によれば巨像の親指に腕を回せるものはわずかしかおらず、指だけでもほとんどの彫像よりも大きかったと言います。全長だけだとニューヨークにある自由の女神像と同じぐらいです。

内部には螺旋階段がありヘリオスの目まで続いています。目は空洞になっており夜にはそこに火をともし灯台代わりにされていたようで、夜でも遠くにいる船から確認できたそうです。

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製作から完成に至るまで

製作の責任者はリンドスのカレスという彫刻家で、鉄の骨組みと青銅を使い作りました。

カレスはギリシャの著名な彫刻家で20mを超えるゼウス像を建造したリュシッポスの弟子です。巨像は素晴らしいものだったと思いますが伝承によると巨像に小さな傷があったらしく、そこを指摘されてカーレスは自害したと言われています。

建造には着工から12年かかっており完成したのは紀元前284年です。部位ごとに作ってくっつけることは大きすぎて困難だと思ったカレスは、巨大な大理石の台座の上に脚から少しずつ建設していったと言われています。

作る際の足場は土を積み上げて傾斜を作り高くなっていくごとに傾斜の角度を強めていったそうです。

ギリシャの歴史家の記述によると、青銅を500タラント(約12.9トン)、鉄を300タラント(約7.7トン)使われていたそうです。青銅は溶かして流し込んだのではなくデメトリス軍が置いて行った青銅の武器などを鋳造した型材と薄板を使っていました。

ロドス島の巨像を建設した後と伝説

ロドス島の巨像は、なぜ無くなってしまったのか?多くの人々が誤解されていること、またロドス島の巨像にまつわる伝説とは。

崩壊した後や、現在の調査内容に迫ります。

ロドス島の巨像が崩壊

ロドス島の巨像は世界の七不思議の中では最も短命だと言われています。

無くなった理由は建設から58年後の紀元前226年に大地震が起こったのが原因で、膝の部分から崩れてしまいました。砕けた巨像の一部は城などを作るために用いられましたが、ほとんどは約800年間そのままにされて当時の観光名物になったと言われており多くの人が訪れたそうです。

しかし、イスラム軍に征服されてからはユダヤ人やシリアから来た商人たちに残骸を売られてしまって巨像があった痕跡は今では全く残っていません。

商人は彫像を破壊してスクラップにしてから900頭のラクダの背に乗せて持ち帰ったと言われています。売られた理由としてはイスラム教は偶像崇拝禁止を掲げていたからです。

消えてしまったための誤解やロドス島の巨像伝説

巨像は残骸すら残っていない一方多くの誤解や伝説が残っています。

その1つは巨像が大股を開き港口をまたいだ姿勢だったということです。

今まではこのことを疑わずに信じられてきましたが現在の研究ではこの姿勢にするにはさらに大きくしなければいけなくなり、それと同時に耐久性が低く不可能だと考えられています。

他にも既存の大きさだと船が股の下を通ることができないと言われているので足を揃えていたという説のほうが有力です。

また、倒壊した時に多くの家を下敷きにしたと記録に残っているので街の中にあったと考える人もいます。

ロドスの巨像の伝説では敵船が港に近づくと手に持っている容器を傾け、容器の中に入っている煮えた油や鉛を船の頭上に注ぐという仕掛けが作動するようになっていたと言われています。

ニューヨークにある自由の女神像の台座部分に彫られている「The New Colossus」という詩の中でロドスの巨像と自由の女神像を対比しています。この詩でも伝説に基づき巨像が港口をまたいでいた姿を描写しています。

現在での調査

古代の数学者であるフィロンは人類がこれまでに作った最も均整で壮大な彫像だと惜しみなく称賛の言葉を送り、世界の七不思議の1つとしました。

しかし他の世界の七不思議である建造物は今でも実在していたり痕跡が残っているのですがロドス島の巨像だけは跡形もありません。

あったと言われる理由は当時の記録や後世に想像で描かれた肖像画などから本当にあったのではないかと言われているだけです。なのでギリシャを中心に多くの人が調査を続けています。

調査を進めているとロドス島の付近の海底やロドス島での道路工事中に巨像の一部と思われる石灰岩の彫刻物が発見されました。彫刻物はとても巨大で人間の拳のような形状をしています。

発見当初は巨像の一部だと期待されていましたが後に巨像の残骸ではないと判断されました。

崩壊した後

ロドス島の住民は地震が起きた原因は神をかたどった物を作ったことで神の怒りに触れてしまったと考えました。そのため崩壊後プトレマイオス3世が再建のための資金提供をしてくれましたがそれを拒否し再建はされませんでした。

その後1970年代から再建の話が持ち上がりましたが資金面の問題でなかなか話が進みませんでした。

しかし2015年に3,500万ユーロの予算をかけて巨像を再現するプロジェクトが発表され新しい巨像の完成予想図なども公開されています。

予定では全長150mもあり当時のものよりはるかに大きい彫像にするそうで56kmも離れたトルコの沿岸からも見えるように灯台やボートの夜間基準点としての機能も兼ね備えるように作るそうです。

オリジナルと違って内部には図書館、博物館、店舗を入れる予定です。また、太陽神を模していることから彫像の皮膚はソーラーパネルで覆い、100%の自律性を与える予定だそうです。

このプロジェクトによってロドス島を地図に戻し観光の後押しをすることを目的としているようです。予想では観光客は150%増え20億ユーロを超える収益が見込めるようです。

現在も調査中のロドス島の太陽神ヘリオスの巨像

今回は古代世界の七不思議の1つであるロドス島の太陽神ヘリオスの巨像についてお話ししました。

本当にあったのか謎に包まれている巨像で多くの伝説が残っており今でも調査が進められています。

新しい巨像をつくるというプロジェクトがあるので出来た際は見にいってみるのもいいですね。