不老不死の人間は実際にいた?不老長寿と語られたサン・ジェルマン伯爵や八百比丘尼とは

hurouhushi

「いつまでも若くいたい」「ずっと生きていたい」、人間には誰にでもそんな願望が少なからずあります。過去には真剣に不老不死を目指して研究し、錬金術など試みた人たちもいました。

不老不死の人間は現実に存在するのでしょうか?実は人類の長い歴史の中で、「不老長寿」であったと語られる人物たちがいるのです。

今回はその人物たちと、実際に不老不死になると起こる恐怖について解説していきます。

人間が不老不死を求める理由とは?

生命人間が不老不死を求める理由は若さへの欲求や生存本能から来ていますが、根本的なところでは老化して醜くなり体が不自由になることへの抵抗と「死」への潜在的恐怖があると考えられます。

若い時は髪も肌も瑞々しくて美しく、体全体に強い生命力がみなぎっています。対して老化すると髪や肌からはツヤが失われ、体の機能も衰えて足腰が弱くなってしまいます。若い時にはあった容姿の魅力と体の元気が失われるのは、精神的な葛藤や絶望が伴い簡単に受け入れられません。

「死」への恐怖は人間の遺伝子には祖先の代から闇に対しての恐怖心があるされているため、人間は無意識に闇を恐れてしまうことが関係しているのでしょう。死の世界は暗闇のイメージがあり人間は息絶えると、自分が闇の中に呑み込まれてしまうという恐れがあるのかもしれません。

人間が不老不死を求めてしまう本当の理由は、老化してかつて持っていたものを失いたくない、絶対の闇から逃れたいという願望からだと言えます。

不老不死または不老長寿と語られる人物たち

長寿
フランスをルイ15世が統治していた時代に、パリの社交界で話題となった人物「サン・ジェルマン伯爵」。日本の若狭(福井県)で生まれ育ち、美しい少女のまま800年も生きたという人物「八百比丘尼」。

彼らは不老不死または不老長寿であったと、長く語り継がれています。どのような人生を送っていたのか紹介いたしましょう。

サン・ジェルマン伯爵

サン・ジェルマン伯爵がパリの社交界に登場したのは1758年頃であり、その当時の彼の年齢は67歳だと言われています。高齢であるにも関わらずサン・ジェルマン伯爵の容姿は若々しく、30代くらいにしか見えない外見をしていたそうです。

驚くほど博識だった

自称する年齢とそぐわない若い容姿をしたサン・ジェルマン伯爵は、それだけでも奇妙であるのに頭脳も常人とは思えない優秀さでした。彼は語学にとても長けていて話せる言葉は12カ国語にも及び、ドイツ語・フランス語・ラテン語はもちろん中国語まで流暢に話せたと言われています。

語学だけでなく色々なことに対しても深い知識を持っていて、それらの知識は専門家並みのレベルで周りが驚くほどの博識ぶりでした。サン・ジェルマン伯爵は高い教養を身につけていることが評価されルイ15世の愛人・ポンパドゥール公爵夫人と親しくなり、ルイ15世にも会う機会があり国王である彼にも気に入られます。

サン・ジェルマン伯爵は錬金術も得意としていてルイ15世のお気に入りになったきっかけは、伯爵が自分の錬金術で生み出したダイヤモンドを献上したからという話もあります。当時の社交界の人々にはサン・ジェルマン伯爵の不思議な若さと博識ぶりが、神秘的でさぞ魅力的に映ったのでしょう。

サン・ジェルマン伯爵はイエスキリストがいた時代から存在した

サン・ジェルマン伯爵は自称で67歳としていましたが、彼の語る昔話は何百年前のことについてが多く実際は気が遠くなるほど長い年月を生きていました。古い話ではキリスト教の祖であるイエスキリストが、水を酒に変えた出来事を語っています。

他にもバビロンの都を見たことや十字軍遠征に参加した経験、スペイン国王・フェルディナンド5世の元で大臣をしていた話もあります。普通には信じがたい話も伯爵の容姿と知識が、本当だろうと聞く相手に納得させていたのかもしれません。

サン・ジェルマン伯爵は色んな時代に出没している

パリの社交界で名を知られるようになったサン・ジェルマン伯爵は、その後に権力争いに巻き込まれ失脚し1760年に社交界から去りました。彼はドイツに住まいを移して1784年に93歳で亡くなったとされています。

でも、本当のところサン・ジェルマン伯爵は死んでおらず、転々として生き続けたようです。彼の目撃例は色んな時代に報告されていて、勝手気ままに出没していたのでしょう。フランス革命の際には革命広場の現場にいた、第一次・第二次世界大戦の時代にもサン・ジェルマン伯爵が現れたという噂があります。

サン・ジェルマン伯爵自身も「不老不死」を公言していて、彼が食べる物は何かの丸い薬とパンのみでした。サン・ジェルマン伯爵に使用人も不老長寿でパリの社交界にいた当時で、500年にも渡って彼に仕えているという証言をしています。主従ともども不老不死として生き続け、現在も彼らは世界のどこかで暮らしているのでしょうか。

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八百比丘尼(はっぴゃくびくに)

若狭(福井県)出身である八百比丘尼(読み:はっぴゃくびく)には言い伝えでは、平安時代に若狭国勢村(小浜市)の長者の家に生まれたとされています。裕福な家庭環境の中で美しく育った八百比丘尼ですが、父親が持ち帰った土産が原因で悲劇の人生を送ることになりました。

口にすると不老長寿となる人魚の肉を食べてしまう

村の長者であった八百比丘尼の父親はある時、不思議な男の屋敷に招かれて珍しい肉を土産に渡されました。珍しい肉とは人魚の肉のことであり、これを食べると不老長寿を得られる効能があったのです。

少女だった八百比丘尼は父親の土産の肉をこっそり食べてしまい、あまりにも美味しくて全部を口にしてしまいます。人魚の肉を食べてから八百比丘尼が年老いることはなく、結婚して夫が老人になっても彼女だけは若く美しい少女の姿のままでした。

不老長寿となってしまった八百比丘尼は何度も結婚しては夫に先立たれ、親や知人もとっくに亡く天涯孤独の身で200歳を過ぎた頃に意を決して出家し尼となります。尼となった彼女は生まれた土地を離れ、全国各地を行脚したと言われています。八百比丘尼の伝説がある地域は、実際に彼女が旅をした地なのかもしれません。

長い人生の幕を自ら下ろす

八百比丘尼は800年も生きたと言われており、長いこと一人で生き続けた彼女は洞窟にこもり人生の幕を自ら下ろしました。晩年の八百比丘尼は生まれ故郷の地に戻り、庵を立てて暮らしていたそうです。

八百比丘尼が息を引き取った洞窟は、現在は空印寺内にあり保管されています。洞窟は八百比丘尼の不老長寿にあやかり長生きできる霊験があるとされ、長寿を願い多くの人が参拝に訪れています。

一説に八百比丘尼が出家したのは何十年経っても年老いないことに、周りから気味悪がられるようなったことも関係しているようです。不老長寿に翻弄された女性が最後に選んだ場所が、いまは長寿の霊験が得られる場として信仰されているのも皮肉に見えます。

不老不死になったら本当は恐怖しかない?

人間の憧れである不老不死は現在の科学が進めば、実現される可能性も少なくありません。ただし、不老不死になれたとしても、迎える結末は本当は恐怖しかないと思えます。

人間が不老不死になる手段として、細胞を操作して若返らせる再生医療を受ける、精神を仮想空間に移して肉体と切り離す方法が考えられています。いまは現実味がない話でも研究されることによって、不老不死も次第に可能なものへと近づくでしょう。

不老不死の人間は万能のように感じますが、決してそうではないと言えます。不老不死になったら立ちはだかる壁として、周りの人間から「差別」を受ける確率が高まります。ずっと年老いないことで奇異に見られ、自分たち普通の人間とは違うと避けられてしまうかもしれません。

八百比丘尼が周りから化け物のように思われていたかもしれないように、若いままで死ぬことのない人間は周囲から不気味に思われ受け入れられないでしょう。

不老不死になるということは、阻害される存在になることを覚悟する必要があります。

【まとめ】不老不死は夢のままにしておこう

不老不死になることは決して素晴らしいことではなく、苦悩や孤独もつきまとうものです。年をとって老いていくこと人生が終わることを否定せず、自然な現象として受け止めてはいかがでしょうか。

不老不死は夢のままであるからこそ神秘的であり、現実になったらデメリットにしかなりません。